【デイトナビーチ 2月22日】
アメリカのモータースポーツ史に刻まれる伝説が、本日、フロリダの眩い太陽の下で幕を開けた。NASCAR(全米自動車競争協会)の創設者ビル・フランス・シニア氏の悲願であった、世界最大級の舗装サーキット「デイトナ・インターナショナル・スピードウェイ」において、第1回デイトナ500が開催された。これまで砂浜の特設コースで行われていたレースは、ついに近代的な超高速の殿堂へと舞台を移し、時速140マイル(約225キロ)を超える極限の戦いが繰り広げられた。
総延長2.5マイル、最大31度のバンク(傾斜)を持つこの巨大なトライオーバル・コースは、観客を興奮の渦に突き落とした。記念すべき第1回のレースには、全米から屈指のストックカーレーサーが集結。59台の市販車ベースのモンスターマシンが轟音とともに一斉にスタートを切った。500マイルという過酷な長距離を走り抜くこのレースは、単なる速さだけでなく、車両の耐久性とドライバーの精神力が試される「グレート・アメリカン・レース」としての産声を上げたのである。
現場のスピードウェイ周辺には、歴史的瞬間を目撃しようと約4万人の観衆が詰めかけ、スタンドは熱狂に包まれた。レース終盤、リー・ペティ氏(オールドズモービル)とジョニー・ボーチャンプ氏(フォード)が、数センチの差を争う大接戦を展開。フィニッシュラインを同時に通過したため、勝者の判定が写真判定に持ち込まれるという異例の事態となった。コース周辺では、焼きつくようなタイヤの臭いと、市販車が火花を散らして競い合う迫力に、ファンが総立ちで歓声を送っている。各メーカーの最新モデルが、市街地を走る姿そのままにバンクを駆け抜ける姿は、戦後アメリカの自動車文化の象徴そのものである。
このデイトナ500の成功が、NASCARを全米規模のプロスポーツへと押し上げ、モータースポーツが野球やフットボールに並ぶ巨大なエンターテインメントへと成長する契機となるのではないかとの見方もある。この「速度の祝祭」がいかなる伝統を築いていくのか、その行方が鋭く注目される。
— RekisyNews 社会面 【1959年】
