毛利元就、三子に家訓の書状──家名存続を強く託す「三子教訓状」

毛利元就

【安芸・吉田郡山城 12月15日】

安芸国の領主 毛利元就 がこのほど、嫡男・隆元、次男・吉川元春、三男・小早川隆景の三人に宛てて、家名の維持と兄弟の和を説く長文の教訓書状、いわゆる 「三子教訓状」 を記したことが家中で話題となっている。書状は段落を重ねながら、家を絶やさぬための心構えを丁寧に説くもので、兄弟が互いに助け合い、争いを避けるよう繰り返し言い含めている。

元就は書状の中で、隆元を家督の中心に据えつつも、元春・隆景のふたりが「毛利の名を忘れず、本家を支えるべし」と強調。特に、兄弟の不和が家の衰退を招くと戒め、「三人の間に隔たりがあれば、ともに滅亡すると心得よ」との強い言葉も記されているという。

近年、毛利家は中国地方で勢力を広げつつあるが、周辺諸勢力との緊張も続いている。城下では「殿は、家の未来を案じておられる」「子らが争い、家が傾く例をいくつも見てきたからだ」といった声が聞かれ、今回の書状を元就晩年の重要な政治的布石と見る見方が広がっている。

内政と戦略の要として注目される三兄弟の結束が、この教訓状によりどれほど固まるのか。戦乱の世を迎える毛利家の行く末を占う文書として、家中でも関心が高まっている。

— RekisyNews 歴史面 【1557年】

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