【東京 12月9日】
本日、明治政府は、従来使用してきた太陰太陽暦(旧暦)を本年12月31日をもって廃止し、翌日から太陽暦(新暦)を全国で採用することを正式決定した。この急転直下の布告は、近代国家建設を進める政府の重要政策の一環であり、行政・教育・商取引など社会のあらゆる仕組みに大きな影響を与えることとなる。
太陽暦採用の詔書は、太政官布告として本日付で公布された。これにより、来る明治5年12月31日の翌日は 明治6年1月1日 とされ、旧暦の「閏月」や月齢に基づく暦法は廃止される。詔書では「文明国の制度に倣い、暦法を改めて国政を整える」と述べられ、西欧諸国と歩調を合わせる近代化政策の一環であることが強調された。
突然の改暦決定に、府内では驚きの声も上がっている。商家の主人は「正月の準備が大幅に早まる。仕入れをどうするか」と戸惑いを見せ、農家の男性は「作付けや季節の習いがどう変わるのか心配だ」と語った。一方、学者の中には「行政の統一が進み、国際交流でも便利になる」と評価する声もあり、賛否は分かれている。
今回の改暦の背景には、官吏の給与支給日、軍隊の編成日程、郵便制度、学校暦など、西洋式制度を導入するうえで旧暦では支障が生じていた事情がある。特に欧米諸国との外交・貿易が急速に拡大する中で、世界標準の太陽暦への移行は避けられない課題とされていた。
内務省は、地域役所に対して改暦の趣旨を周知するよう指示し、寺社や町内会にも協力を求めている。ただし旧暦に基づく年中行事や祭礼は各地で根強く、今後しばらくは「旧正月」を祝う地域も残るとみられる。
本日の決定は、日本が暦の上でも本格的に近代国家へ踏み出す歴史的転換点であり、国民生活に広範な影響を及ぼす大改革となる。
— RekisyNews 社会面 【1872年】
