【京都・舞鶴港 12月8日】
本日午前、シベリア抑留者を乗せた引揚げ船第1号が舞鶴港に入港し、約5千人の元日本兵・民間人が祖国の地を踏んだ。終戦から1年以上が経過し、厳しい寒さと過酷な労働の続いた収容生活からの帰還は、多くの家族にとって待ち望んだ瞬間となった。
冬の冷たい潮風が吹く舞鶴港には、夜明け前から家族や関係者が集まり、岸壁は人で埋め尽くされた。船影が沖に現れると、人々は一斉に歓声とも嗚咽ともつかぬ声を上げ、手を振り続けた。船が接岸すると、甲板にはやせ細った抑留者の姿が見え、家族は名前を呼びながら駆け寄った。
下船した男性の一人は、「本当に日本に帰ってこられたのか、まだ信じられない」と語り、別の元兵士は「仲間の多くは帰れなかった。彼らの分まで生きたい」と目頭を押さえた。抱き合う家族の多くは涙を流し、再会の瞬間を言葉にできずにいた。
シベリアでは、終戦後も長期間にわたり多数の日本人が拘束され、森林伐採・炭鉱・建設作業など、厳しい環境の下で労働を強いられていた。低温と栄養不足、医療の欠如から死亡者も多く、帰還者の中には深刻な健康被害を訴える者も少なくない。
厚生省は応急処置のための医療班を配置し、港周辺に臨時の検査所・収容所を設けて支援に当たっている。係官は「急性の衰弱、凍傷、感染症の疑いが多い。長期的な治療が必要な人も少なくない」と述べ、帰還者支援体制を急ぐ必要性を強調した。
岸壁で父を迎えた若い女性は、「もう一度会えるとは思わなかった。これで家族が戻った」と涙ながらに語り、周囲でも似た光景が続いた。舞鶴港は、長い抑留から解放された人々が“日本へ帰る第一歩”を踏み出す象徴の地となりつつある。
本日の入港は、終戦後も続く抑留問題に大きな節目を刻む出来事であり、今後も多くの帰還船が舞鶴を目指すとみられる。
— RekisyNews 社会面 【1946年】
