倒幕派、薩摩藩邸に討ち入り──陸奥陽之助ら、幕府寄りの三浦休太郎を急襲するも暗殺は未遂

三浦安

【京都・薩摩藩邸 12月7日】

本日未明、倒幕派の志士 陸奥陽之助(のちの陸奥宗光) と中井庄五郎らの一行が、京都三本木にある 薩摩藩邸 に討ち入り、同藩邸に身を寄せていた 三浦休太郎 の暗殺を試みる事件が発生した。

三浦は紀州藩出身で、近年は浪士組や幕府方との関係を深めており、倒幕派から強い敵意を向けられていた人物である。

今回の襲撃は、討幕の機運が高まる京都政局の中で、三浦が幕府寄りの活動を続けていたことが背景にあるとみられる。陸奥らは薩摩藩邸に踏み込み、三浦の部屋を目指したが、邸内に配置されていた薩摩藩士がこれを阻止し、邸内はたちまち激しい乱戦となった。

邸内にいた者の証言によれば、「刀と槍がぶつかる音が響き渡り、廊下は一瞬で戦場のようだった」という。中井庄五郎は戦闘で重傷を負い、陸奥陽之助も塀を越えて脱出、討ち入り側は総退却を余儀なくされた。

一方の三浦休太郎は、薩摩藩士の護衛によって安全な場所へ避難し、暗殺は未遂に終わった。三浦を救出した薩摩藩士の一人は「敵は本気で三浦殿の命を狙っていた。守り抜けたのは幸運だった」と語った。

事件発生後、京都所司代は市中見回りを強化し、浪士たちの動向に厳重な警戒を敷いている。町人の間では「また薩摩と志士が衝突した」「京の政は一触即発だ」と不安の声が上がっている。

今回の“天満屋事件”とも呼ばれる襲撃は、倒幕を目前に控えた京都政局の緊迫を象徴する重大な事件であり、幕府・薩摩・倒幕派の勢力図は一層不安定となった。

— RekisyNews 歴史面 【1867年】

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