【東京 12月2日(明治5年)】
本日、明治政府が先月9日に公布した「明治5年12月3日をもって、明治6年1月1日とする」との詔書に基づき、旧来の太陰太陽暦(旧暦)は本日をもって事実上の大晦日と迎えることとなった。急速な近代化政策の一環として採用された新暦(太陽暦)は、あすから全国で施行され、わが国の暦法は大きな転換点を迎える。
今回の暦法改定は、西洋諸国にならい行政・外交・商取引の標準を国際基準に合わせるために行われたものだ。政府は先月の告示以来、各地の役所や寺社に対し新暦の趣旨を説明してきたが、短期間での移行となったため、市井では「なぜ急に年が変わるのか」「明日は本当に新年なのか」といった戸惑いの声も少なくない。
都心では朝から「きょうが本当の大晦日」との噂が広まり、商人の中には急遽店先に飾り付けを行う者も出た。日本橋の呉服店主は「例年とは勝手が違うが、明日は正月とあらば客の縁起物の相談も受けねば」と苦笑しながらも対応に追われていた。
一方、農村部では旧暦の季節感に馴染んだ生活が根強く、農民の一人は「まだ冬の入り口で『正月』と言われても実感がわかぬ」と語り、新暦への移行に不安をのぞかせる。寺社でも節供や年中行事の日取りが変わるため、僧侶や神職らが相談に集まる姿が見られた。
しかし、政府関係者は「暦の統一は国政の基礎」であると説明し、鉄道・郵便・役所の業務は新暦に従って運用されるとしている。とくに商家では、取引日付が西洋式の暦と異なることが長らく課題となっていたため、「商売上は助かる」と歓迎する声も少なくない。
今日の日暮れとともに、明治5年は本当の意味で“幕”を閉じる。そしてあすの夜明けは、旧来の暦ではなく、西洋式の暦で迎える全く新しい「明治6年1月1日」となる。市中には不安と期待が入り混じるが、この“年の飛び越え”は、日本が近代国家として歩み始める象徴として歴史に刻まれるだろう。
— RekisyNews 社会面 【1872年】
