ジョン・ブラウン、本日処刑──奴隷制度をめぐる亀裂がさらに深まる

【バージニア州チャールズタウン 12月2日】

本日午前、奴隷制度廃止を訴え武装蜂起を試みた活動家 ジョン・ブラウン が、チャールズタウンの監獄前広場で絞首刑に処された。ブラウンは先月、ハーパーズ・フェリーの連邦軍武器庫を襲撃し、奴隷解放のための反乱を起こそうとした罪に問われ、裁判で死刑判決を受けていた。処刑の予定が市内に伝わると、周辺には兵士が多数配置され、街全体が緊張に包まれた。

処刑は正午前に執り行われ、周囲の丘には見物人が集まり、軍隊は暴動を防ぐため厳戒態勢を敷いた。現場近くにいた農夫は「これほどの軍勢を町で見たことはない」と語り、軍の馬車が次々と通りを埋め尽くす様子に驚きを隠せなかった。ブラウンは最後まで静かに振る舞い、「自分の行いがいつか理解されると信じる」と述べたという。

ブラウンは、長年にわたり奴隷制度の廃止を掲げ、カンザス紛争では流血事件にも関わるなど、その行動は常に賛否を呼んできた。特に今回の武器庫襲撃は南部諸州を激しく刺激し、「北部が武力で奴隷制度に干渉しようとしている」との疑念を強める結果となった。南部政治家の一人は「ブラウンは処刑されたが、彼の行動は火種として残る」と述べ、今後の分裂を懸念した。

一方、北部の奴隷制度反対派の中には、ブラウンを「信念の殉教者」とみなす声もある。教会では彼のための祈りが捧げられ、新聞の社説でも「彼の死が奴隷制度の不正義をさらに浮き彫りにした」との論評が掲載された。だが、連邦政府は「武装反乱は許されない」と強調し、司法の判断に揺らぎはない姿勢を示している。

今日の処刑は、アメリカ社会に深く横たわる対立を再び明確にした。広場に響いた鐘と兵士の足音は、南北の溝がもはや容易に埋まらないことを象徴しているかのようだ。ブラウンの死が、奴隷制度をめぐる議論をさらに激化させるのは避けられず、各地ではすでに緊張が高まりつつある。

— RekisyNews 国際面 【1859年】

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次