南朝・北朝、六十年の対立に終止符 後亀山天皇が神器を奉還し和約成立

【京都 11月19日】

長く続いた南北両朝の対立が、本日ついに終結を迎えた。南朝の後亀山天皇が、三種の神器を携えて京都に入京し、北朝の後小松天皇へ譲渡したことで、両朝を統一する「明徳の和約」が正式に成立した。約六十年に及ぶ王統の分裂は終わり、日本の朝廷は再び一本化されることとなった。

後亀山天皇は吉野を出立し、山道を越えて静かに上洛。勅使や武家の護衛に見守られながら、神器を納めた御箱が慎重に運ばれる様子は、雨上がりの京都の町にも緊張を漂わせた。到着後、三種の神器は内裏へと引き渡され、後小松天皇即位の正統性が改めて固められた。

今回の統一は、室町幕府将軍・足利義満の強い斡旋によるものとされる。南北両朝の対立は各地の武士社会にも大きな影響を与えており、義満は朝廷権威の一元化こそが政局安定の鍵とみて調整を進めてきた。幕府関係者は「これで国内の乱れを収め、政務を一筋にまとめる基礎が整った」と語る。

京都の町では、南朝を支持してきた武士や僧侶の間に複雑な空気が漂う一方、商人や町人からは「これで争いが収まるなら喜ばしい」と安堵の声も上がっている。長年の内乱によって荒廃した地方では、統一後の治安回復と税負担の軽減を求める声が高まっている。

明徳の和約成立により、日本の朝廷は再び一つの御代へと収束した。分裂の記憶を抱えつつ、新たな時代が静かに歩み始めている。

— RekisyNews 歴史面 【1392年】

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