【パリ 10月28日】
本日、パリ市内で5月より開催されていた国際競技大会が閉幕を迎えた。 この大会は、ギリシャ・アテネで始まった近代オリンピックの第2回大会にあたるもので、1900年パリ万国博覧会の付随行事として実施された。
閉会式といえる特別な式典は行われなかったが、最終競技の一部が本日終了し、これにて全日程が事実上終了したと見られている。今回のパリ大会は5か月に及び、4月から10月にかけて分散開催されたため、開閉会の明確な区切りはなく、多くの競技が一般行事と混在する形で進行した。
大会にはヨーロッパ諸国を中心に、24か国からおよそ1,000人以上の選手が参加。 女性選手の初参加も実現し、テニスやゴルフなどで女子競技が導入されたことは歴史的意義を持つ。
主な競技には陸上、水泳、フェンシング、ボート、サッカー、体操などが含まれたほか、熱気球競技や水上射撃といった万博らしい異色種目も見られた。 一方で、運営体制の混乱や競技日程の錯綜、観客動員の低迷など、課題も多く指摘された。多くの選手は、自らが「オリンピックに参加している」ことを明確に認識していなかったとされている。
また、この大会において初の金・銀・銅メダルの授与が一部競技で実施され、今後の大会形式の基盤が築かれつつある様子もうかがえた。
国際オリンピック委員会(IOC)の創設者であるピエール・ド・クーベルタン男爵は、今大会が抱えた混乱を認めつつも、「理想は始まったばかりであり、いかなる困難にも耐えうる持続力が肝要である」と語った。
パリでの静かな幕引きは、次回1904年セントルイス大会へとバトンを託し、五輪の歩みは新たな段階へと進んでいく。
— RekisyNews スポーツ面 【1900年】
