【ブカレスト 9月6日】
本日、ルーマニア国王カロル2世(47)が退位を表明し、国外へ再び亡命した。後継として息子のミハイ1世(19)が国王に復位し、政権は大きな転換点を迎えた。これに伴い、軍人出身のイオン・アントネスク将軍(58)が首相に就任し、国家の全権を掌握する体制が整えられた。
この急転直下の政変の背景には、カロル2世の長年にわたる強権的統治と、その私生活にまつわる不信感、さらに領土喪失への国民の怒りがある。ルーマニアは先ごろ、ソ連によるベッサラビアおよび北ブコヴィナの併合、ハンガリーへのトランシルヴァニア北部の割譲、そしてブルガリアへの南ドブルジャの返還という一連の屈辱的譲歩を強いられ、国内は極度の混乱に陥っていた。
国民の怒りは頂点に達し、反王政デモが首都を中心に激化。軍部も国王支持から距離を取り、政界・教会・市民団体が一斉に退位を要求。ついにカロル2世は「祖国の安寧のため」として退位を決断し、専用列車で国境を越えた。
新たに即位したミハイ1世は、1930年に父カロルの復位により退位を余儀なくされて以来、10年ぶりの復位となるが、実権は与えられておらず、象徴的な存在にとどまる見通しだ。
実質的な政権掌握者であるアントネスク首相は、国家再建を掲げて国家指導者(Conducător)への就任を国民投票に諮り、広範な支持を獲得。今後は、ナチス・ドイツとの関係強化や対ソ政策を重視した体制へと急速に舵を切るものと見られる。
この政変により、ルーマニアは王政と軍政が混在する新たな権威主義体制へと突入した。国際情勢が緊迫する中、同国の動向はバルカン半島全体の政治バランスにも影響を及ぼすこととなるだろう。
— RekisyNews 国際面 【1940年】