北条時政、政子・義時の手により出家――鎌倉幕府執権の座、義時に継承される

 【鎌倉 9月5日】

本日、鎌倉幕府初代執権・北条時政が、その実子である北条政子と北条義時によって政務の座を追われ、出家した。これに伴い、次男・義時が第2代執権に就任し、幕府中枢の権力構造に重大な変化が生じた。

北条時政は、源頼朝の舅としてその政権樹立を支え、頼朝死後は十三人の合議制を経て事実上の執権として幕政を掌握していた人物。だが、近年は政略結婚や専横的な振る舞いが目立ち、御家人たちの間で反感が高まりつつあった。

今回の決定打となったのは、時政が後妻・牧の方の意を受けて、将軍・源実朝の廃立と自身の娘婿である平賀朝雅の擁立を企てたという疑惑である。これに反発した政子と義時は、時政の屋敷を包囲し、政変の回避と将軍家の安泰を理由に、父を強制的に出家へと追い込んだ。

義時はこれにより幕府の実権を掌握することとなり、名実ともに第2代執権の地位へと就任した。今後、義時がいかにして幕府を掌握し、御家人たちとのバランスを取りながら政権運営を行うかに注目が集まっている。

御所周辺では、政子の沈着冷静な判断と義時の行動力に称賛の声も上がる一方で、「親を追放してまで権力を得た」として非難の声も聞かれ、幕府内外に動揺が広がっている。

源頼朝の死から7年。頼家・実朝と続く将軍家の中で、北条一族の影響力は一層強まりつつある。今回の事件は、「北条政権」確立への大きな転換点となりそうだ。

— RekisyNews 鎌倉政局面 【1205年】

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