家康、東国八州へ移封 北条旧領の支配に着手

関東・東国の広大な旧北条領を、三河以来の大名・徳川家康に与える旨が、本日、豊臣秀吉の命として諸大名に伝えられた。家康は駿遠三・三河・甲信・駿河など旧領を離れ、江戸を拠点に武蔵・相模・上総・下総・安房・上野・下野・常陸の八か国を治めることとなる。石高は250万石を超え、西国諸侯を凌ぐ規模とみられる。

この国替えは、小田原攻めの戦後処理として行われた。北条氏の降伏で空白となった関東の統治を、秀吉は有力諸侯の中から家康に委ねる決断を下した。諸大名の間では「広大な領地を与える一方、西国から遠ざける狙いがある」との見方があり、政治的な含みも指摘される。

家康はすでに江戸城を本拠とする準備を進め、重臣団も東国への移動に向けた陣立てを開始した。江戸城は太田道灌築城以来、長らく荒廃しており、家康は入封後に石垣や堀を改修し、大規模な町割りを行う計画だ。さらに江戸湊の整備、街道付け替えなど交通・物流の刷新も視野に入れ、東国経営の基盤作りを急ぐ構えである。

京の町衆からは「東国は海も山もあり兵糧に恵まれる」との期待の声がある一方、「江戸は湿地が多く住みにくい」と案じる向きもあった。豊臣政権の側近は「東国の安定は天下の安定」と述べ、家康の着任を歓迎した。新たな拠点からの統治が、天下の勢力地図をどう塗り替えるのか注目される。

— RekisyNews 政治面 【1590年】

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