徳川慶喜公、江戸城を退去 ── 上野寛永寺にて「恭順謹慎」の意を鮮明に

【江戸 3月5日】

前征夷大将軍・徳川慶喜公は本日、朝廷に対する絶対的な恭順の意志を示すため、住み慣れた江戸城を後にした。慶喜公は上野の寛永寺大慈院へと移り、一室に引き籠もって外部との接触を断つ「蟄居(ちっきょ)」に入った。

鳥羽・伏見の戦いでの敗北後、江戸へ帰還した慶喜公は、幕閣の一部にある抗戦論を退け、一貫して「無抵抗・恭順」の姿勢を貫いている。本日の城退去は、官軍(新政府軍)が江戸へ向けて進軍を続ける緊迫した情勢下において、自らが朝敵の汚名をそそぎ、徳川家存続と江戸百万の民を戦火から守るための決死の覚悟の表れとみられる。

慶喜公が身を置く大慈院の一室は、わずか十畳余りの簡素な空間であり、かつての将軍の威容を捨てたその姿は、訪れた側近たちの涙を誘っているという。現在、江戸城内では勝海舟氏らが新政府軍の参謀・西郷隆盛氏との交渉を進めているが、慶喜公のこの「誠意の証明」が、迫りくる総攻撃を回避する鍵となるかは予断を許さない。

上野の山には、慶喜公の身を案じ、徹底抗戦を叫ぶ旧幕府歩兵隊「彰義隊」が集結しつつあり、静寂に包まれた大慈院の周辺には異様な緊張感が漂っている。武士の世の終焉を予感させる冷たい雨の中、徳川の歴史は今、最大の転換点を迎えている。

— RekisyNews 社会面 【1868年】

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