焦土の京橋に春雨 ── 「振袖火事」三日間の地獄、ついに鎮火

【江戸 3月4日】

一昨日から江戸の町を焼き尽くした未曾有の大火、通称「明暦の大火」は、本日、降りしきる雪と雨によってようやく鎮火した。本郷の本妙寺を火元とするこの猛火は、北西からの強風に煽られ、江戸城天守閣をはじめ、武家屋敷から町屋、寺社に至るまで、市街地の約6割を灰燼に帰した

記録によれば、火勢は神田、日本橋、霊巌島を飲み込み、さらに浅草方面へと拡大。隅田川に架かる両国橋周辺では、逃げ場を失った数万人もの民衆が炎と川に呑まれるという、筆舌に尽くしがたい悲劇が起きた。犠牲者の数は、一説には10万人を超えるとも囁かれ、死臭が漂う焦土には、未だ身元不明の遺体が山積している。

江戸城においては、本丸、二の丸、三の丸が全焼。黄金に輝いた五層の天守閣も崩落し、徳川の威信を象徴する巨城は無残な姿を晒している。将軍・家綱公は西の丸へ避難され、一時は紀州藩邸への移座も検討されるなど、幕府中枢は極限の緊張に包まれた。

本日、ようやく火の気が収まったのを受け、保科正之公を中心とする幕閣は直ちに救援策を協議。米蔵を開放しての炊き出しや、被災者への金銀の貸与が急ピッチで進められている。しかし、家を失った数多の江戸市民は、ぬかるんだ焼け跡に座り込み、寒さに震えながら茫然自失の態を呈している。

この大火は、開府以来の都市計画に根本的な修正を迫るものとなるだろう。幕府は火除地の設置や、密集した寺社の移転など、「火に強い街」への再建を模索し始めている。徳川の都・江戸は、この深い傷跡を乗り越え、再び立ち上がることができるのか。再興への長い道のりが、今、雨の中で始まった。

— RekisyNews 社会面 【1657年】

アイキャッチ画像 Heineken, Ty & Kiyoko – Tansu: Traditional Japanese Cabinetry, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=31536907による

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