【高知・徳島 3月2日】
明治政府は本日、これまで高知県に編入されていた旧名東県(阿波国)を分離し、新たに徳島県を設置した。これにより、1876年(明治9年)以来続いていた「大高知県」体制は解消され、高知県と徳島県はそれぞれの行政区域として確定した。
徳島(阿波)は、廃藩置県後の相次ぐ統合により、一時は香川県(讃岐)を併合した「名東県」として四国最大の人口を誇っていた。しかし、1876年の大規模な府県統合において名東県が廃止され、阿波は高知県へ、讃岐は愛媛県へと分割編入された。この「高知への統合」に対し、徳島側では「地勢も風俗も異なる」として、独自の県政を求める分県運動が士族や豪農を中心に激化していた。
今回の再置決定の背景には、高知県内で自由民権運動が過熱し、政府がその勢力を分散・弱体化させる狙いがあったとの見方も強い。しかし、徳島の住民にとっては、長年の悲願であった「自立」が達成された形だ。初代長官(知事)には、内務省官僚の山田信道氏が任命される見通しである。
四国の行政地図は、これで愛媛・香川・高知・徳島の「四県」へと整いつつある(※香川は一時愛媛に編入中)。今回の分県により、徳島は阿波踊りや藍産業といった独自の文化・産業基盤を核とした、新たな近代県政の歩みを踏み出すことになる。
— RekisyNews 地域面 【1880年】
