【フェザーストン 2月25日】
ニュージーランド北島の平和な田園地帯に位置するフェザーストン捕虜収容所にて、本日、わが国の戦争史に刻まれるべき凄絶な流血事態が発生した。刑務作業を拒否しストライキを行っていた日本人捕虜に対し、収容所当局の看守が発砲。これをきっかけに暴動へと発展し、日本人捕虜48名、看守1名が死亡、合計63名が負傷するという大惨事となった。第二次世界大戦下、遠く離れた南半球の地で起きたこの「フェザーストン事件」は、捕虜の待遇と精神構造を巡る深刻な摩擦を浮き彫りにしている。
惨劇の背景には、ジュネーヴ条約に基づく労働要求と、「捕虜となるの辱めを死して雪ぐ」という日本軍独自の精神規範との絶望的な乖離がある。本日午前、当局が命じた農作業等の刑務作業に対し、約240名の日本人捕虜が座り込みによるストライキを断行。収容所長らによる説得は平行線をたどり、緊張が極限に達した際、看守側が威嚇射撃、次いで群衆への直接射撃を開始した。これに対し、捕虜たちは石や作業用具を手に「バンザイ」と叫びながら銃口へと突進。近代的な銃火器と肉弾による凄惨な格闘が数分間にわたって繰り広げられた。
現場となった収容所の広場は、硝煙と悲鳴、そして鮮血に染まり、かつての平穏な風景は一変した。負傷した捕虜たちの多くは、治療を拒んで「殺せ」と叫び、看守側も予期せぬ激しい抵抗に戦慄を隠せない様子だ。あるニュージーランド軍関係者は「彼らは死を恐れていなかった。説得は最初から不可能だったのかもしれない」と、血の付いた制服を見つめながら沈痛な面持ちで語った。現在、収容所周辺は軍によって完全に封鎖され、厳戒態勢が敷かれている。
この「フェザーストン事件」の衝撃が、連合国側における日本人捕虜への管理体制をより厳格なものとし、同時に「死を辞さぬ日本兵」への恐怖と偏見を盤石なものにしていくのではないかとの見方もある。また、この悲劇が終戦後、日ニュージーランド両国の関係にいかなる深い傷跡、あるいは教訓を残すのか。南半球の乾いた風の中に消えた49名の命が問いかける「戦争の不条理」の重みが、今まさに鋭く注目される。
— RekisyNews 戦報 【1943年】
