「昭和」との最別離 ── 昭和天皇大喪の礼、降りしきる雨の中で

【東京 2月24日】

一時代の終焉を告げる悲しみの儀式が、冷たい雨に煙る首都で執り行われた。本日、先月崩御された昭和天皇の「大喪(たいそう)の礼」が新宿御苑にて挙行された。式典には世界164カ国から元首・使節を含む約9,800人が参列。皇居から新宿御苑へと続く沿道には、約20万人の市民が詰めかけ、激動の昭和を歩み抜かれた天皇の葬列を深い静寂と涙で見送った。

今回の式典の背景には、わが国が軍国主義から平和国家へと変貌を遂げた「昭和」という60余年の総括がある。国葬として執り行われた「大喪の礼」は、憲法の政教分離原則に基づき、皇室の伝統儀式である「大喪儀」のうちの国家的行事として位置づけられた。ブッシュ米大統領やフランスのミッテラン大統領ら、世界中の指導者が一堂に会したその規模は、戦後日本が築き上げた国際的地位と、昭和天皇が果たされた象徴としての役割の大きさを物語っている。

現場となった新宿御苑の大喪の礼場は、古式ゆかしい鳥居と祭壇が設けられ、厳粛かつ荘厳な空気に包まれている。午前11時すぎ、御遺体を乗せた重さ4トンの「葱華輦(そうかれん)」が到着すると、冷雨の中で雅楽の調べが悲痛に響き渡った。沿道で葬列を待っていた一人の高齢男性は、行き過ぎる黒塗りの車列に向かって深く頭を下げ、「これで本当に私の昭和が終わった気がします。お疲れ様でしたと伝えたい」と、震える声で語った 街中には喪章を掲げた建物が並び、国全体が深い祈りに包まれている。

この「大喪の礼」を一つの節目として、日本社会が平成という新しい時代の構築へと本格的に動き出すのではないかとの見方もある。また、戦前・戦中・戦後という激動を一身に体現された昭和天皇の崩御が、日本人のアイデンティティや皇室のあり方にいかなる内省をもたらすのか。雨に濡れる新宿御苑に刻まれたこの惜別の情景が、後世にいかなる「平和への遺産」として語り継がれていくのか、その歩みが鋭く注目される。

— RekisyNews 特報 【1989年】

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