【東京 2月24日】
わが国の政治史において、労働者と平民の権利を標榜する新たな勢力が、ついに法的な市民権を得て産声を上げた。堺利彦(さかい としひこ)氏らを中心とする社会主義者たちは本日、わが国初の合法的社会主義政党となる「日本社会党」を結成した。かつて「平民新聞」を拠点に反戦と平等を訴え、弾圧の憂き目に遭ってきた彼らが、法の枠内での政党組織を確立したことは、明治後期の政治体制にいかなる波紋を広げるのか。冬の寒さが残る首都に、変革を求める熱い風が吹き始めている。
結成の背景には、日露戦争後の社会不安と、急激な工業化に伴う労働問題の深刻化がある。政府はこれまで社会主義運動を「安寧秩序を乱すもの」として厳しく取り締まってきたが、堺氏らは党綱領を「憲法の範囲内において社会主義を宣伝する」という穏健な表現に留めることで、当局による即時の解散を回避。西園寺公望内閣の比較的柔軟な姿勢(いわゆる「情実的緩和」)も追い風となり、散り散りになっていた勢力が再結集する形となった。これは、暴力的な革命ではなく議会主義を通じた社会改良への第一歩として、歴史的な転換点と言える。
現場となった平民社跡付近の集会場では、堺利彦や片山潜ら幹部たちが、集まった支持者たちを前に結成の辞を読み上げた。壇上の堺氏は、穏やかな語り口の中に「労働者の尊厳」と「社会の公平」を求める強い意志を滲ませ、会場は静かながらも熱を帯びた拍手に包まれた。ある参加者の若き職人は「自分たちの声を国に届ける窓口がようやくできた。これからは隠れて語る必要はないのだ」と、晴れやかな表情で語った。解散の恐怖を抱えつつも、「合法」という免罪符を手に入れた彼らの顔には、新たな戦いに挑む覚悟が刻まれている。
この日本社会党の結成が、将来の労働運動や社会福祉政策の確立に向けた大きな礎となるのではないかとの見方もある。一方で、党内に潜む「直接行動派」と「議会政策派」の対立がいかなる亀裂を生み、当局の警戒心が再び高まる中で組織を維持できるのか。明治の言論空間に現れたこの「赤い新星」が、帝国の未来をいかなる方向へ導くのか、その歩みが鋭く注目される。
— RekisyNews 社会面 【1906年】
