【東京 2月24日】
わが国の女性たちによる、かつてない規模の社会活動組織が産声を上げた。社会運動家・奥村五百子(おくむら いおこ)氏らの呼びかけにより、本日、愛国婦人会が正式に結成された。これは、北清事変での凄惨な戦場を目の当たりにした奥村氏が、出征兵士の家族への救援や傷病兵の慰問を目的として提唱したものである。皇族や華族から庶民に至るまで、階層を超えた女性たちの結束を促すこの組織は、明治という新しい時代の「公」に対する女性の関わり方を大きく変えようとしている。
結成の背景には、相次ぐ外征によって生じた戦死傷者とその遺族の困窮という切実な社会課題がある。奥村氏は「男子が戦場で国を護るならば、女子は銃後でその家庭を支えるべき」との信念を掲げ、募金活動や奉仕活動の必要性を説いた。この理念は広く共感を呼び、近衛篤麿公爵をはじめとする政財界の有力な後ろ盾も得た。単なる慈善団体に留まらず、国家の危機に際して女性がいかに貢献すべきかという指針を確立した点は、わが国の女性運動史においても特筆すべき転換点と言える。
現場となった発起人会が開かれた会場周辺では、志を同じくする女性たちが真剣な面持ちで集まり、組織の綱領を確認し合っている。奥村氏は、戦地から持ち帰った血染めの遺品を傍らに置き、涙ながらに「情愛による救済」の重要性を訴えた。その熱弁に、居合わせた婦人たちは深く頷き、自らの役割を再認識した様子であった。ある参加者は「これまでは家の中にいるばかりでしたが、これからは私たちも国の盾となる方々を支える力になりたい」と、その決意を静かに語った。春近い東京の空の下、結束を誓う女性たちの声が凛と響いている。
この愛国婦人会の誕生が、地方への支部展開を通じて、日本全土の女性たちに国家意識と社会奉仕の精神を浸透させていくのではないかとの見方もある。また、この巨大な女性組織が、来るべき対外紛争においていかなる役割を果たし、後の女性の社会進出や地位向上にどのような影を落とすのか。奥村五百子が灯した一筋の火が、銃後の社会をいかに強く結びつけていくのか、その歩みが鋭く注目される。
— RekisyNews 社会面 【1901年】
