【種子島 2月23日】
本日午後、宇宙開発事業団(NASDA)は種子島宇宙センターからN-Iロケット3号機を射出し、技術試験衛星「きく2号」(ETS-II)の打上げに成功した。これは日本初、世界でも米ソに次ぐ自力での静止衛星軌道投入を目指す歴史的プロジェクトである。通信・放送の未来を担う「空に留まる星」を手に入れるこの挑戦は、戦後日本の科学技術力が世界の頂点へ挑む象徴として、国民に大きな希望を与えている。
背景には、高度情報化社会を見据えた独自の衛星運用能力の確保という国家目標がある。これまでわが国の衛星は地球を周回するのみであったが、常に日本上空に位置し続ける静止衛星の確立は、放送・気象観測の安定に不可欠な要素であった。今回の「きく2号」は、米国の技術協力を得つつも、日本独自の追跡・管制技術の習得という極めて重要な使命を帯びている。この成功は、宇宙を単なる探査の対象から、実利的な社会インフラへと変える宇宙実用化時代の幕開けを告げるものに他ならない。
現場となった種子島の竹崎射場周辺では、打ち上げの轟音が響き渡り、空を切り裂くロケットの白い航跡を多くの関係者が固唾を飲んで見守った。管制室では、衛星の各システムが正常に動作していることが確認されるたびに、張り詰めた沈黙が歓喜の拍手へと変わった。ある若手技術者は「この一筋の光が、未来の日本のテレビ放送や通信を支える太いパイプになる」と、興奮を隠せない様子で語った。春を思わせる穏やかな黒潮の海を背景に、巨大な鉄の柱が重力を振り切る姿は、島民や報道陣の目に「科学立国日本」の力強い足跡として焼き付いている。
自力での静止衛星化技術の確立が、国際的な宇宙ビジネスにおける日本の地位を盤石なものにし、他国に依存しない独自の宇宙政策を加速させるのか。種子島から放たれた小さな「きく」が、広大な宇宙で日本の未来をいかに照らし続けるのか、その行方が鋭く注目される。
— RekisyNews 科学面 【1977年】
