【東京 8月20日】
本日、高村光太郎の新詩集『智恵子抄』が店頭に並んだ。装丁は簡素ながら、並べられた一冊一冊に足を止める読者は多い。詩人が長年にわたり発表してきた作品を中心に編み、妻・智恵子の面影を軸に、出会いから病苦、看取りに至る歳月の記録をひとつの書物に結んだ。
収められた詩は、日々の対話のような平易な言葉と、突き上げる独白の緊張が交錯する。台所や庭の気配、旅の断片、病室の静けさまでが手触りを持って立ち上がり、個人の悲しみが読む者の胸にたどり着く。既刊の雑誌等で知られた篇に加え、新たに配列が整えられ、全体として一続きの物語性が際立った。
評者の間では、作為を削いだ言葉がかえって烈しい感情を呼び起こす点が注目されている。身近な所作や小さな光景が、祈りに似た時間を生み、私事の域を越えて生の尊さを照らす、との見方だ。ある編集者は「一篇ごとに息づかいが違い、読み進むほどに声が近づく」と語る。
街の書肆には若い読者から年配の愛読者までが訪れ、「家族で声に出して読みたい」「手元に置きたい」との声も聞かれた。詩集という形式が、いまの時勢の中でどれほど人の心を支え得るか、試金石となるとの期待は大きい。
私生活の告白にとどまらず、言葉によって生をつなぎとめようとする意志が全編に通う。静かな頁をめくるたび、記憶と現在が重なり、読者それぞれの身近な誰かの顔が思い起こされるに違いない。
— RekisyNews 文化・文学面 【1941年】