西洋社交クラブ「鹿鳴館」、東京・麴町に開館――洋風舞踏会の幕開け

【東京・麹町 11月28日】

本日、東京・麹町(現東京都千代田区内幸町付近)に、日本政府主導により建造された社交クラブ「鹿鳴館」が正式に開館を迎えた。明治16年(1883年)11月28日付で、政府が欧化政策の一環として設けたこの施設は、日本初の洋式社交クラブとして、今日から本格的な運用を開始する。 

この鹿鳴館は、英建築家 ジョサイア・コンドル の設計によって、2 階建て煉瓦造りの豪華な洋館として建設された。着工は明治14年(1881年)で、7月に落成を迎えた後、11月28日に大規模な開館式とともに一般公開された。 

開館式には外務卿 井上馨 をはじめとする政府高官および欧米各国の外交使節団が出席し、約1,200通の招待状が発せられた。式典の夜には、洋服に身を包んだ男女数百名が舞踏会に参加し、社交の場として華やかに幕を開けた。 

鹿鳴館の創設には、当時の日本が抱えていた欧米諸国との不平等条約改正問題を背景に、「外国使節を迎えるにふさわしい迎賓施設を整備し、近代国家としての姿を示す」という狙いがあった。施設内には舞踏室、食堂、談話室、喫煙室などが洋風建築の様式で設けられ、政財界の社交場および外国使節との交流拠点として機能することが期待されていた。 

また、館名「鹿鳴館」が指す「鹿が鳴く」は、中国古典『詩経』の一節「鹿鳴、群臣嘉賓燕スルナリ」に由来し、「賓客を迎えてもてなす」の意を含んでいる。まさに明治政府が掲げた“文明化”“欧化”を象徴する施設である。 

今日を皮切りに、鹿鳴館では舞踏会、園遊会、迎賓行事、名流婦人による慈善バザーなどが頻繁に開催される予定であり、“鹿鳴館時代”と呼ばれる明治期の一大社交文化が幕を開けることになった。 

— RekisyNews 文化面 【1883年】

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