【順天 11月7日】
倭軍が占拠する順天城を包囲していた明・朝鮮連合軍が、ついに古今島(コグムド)方面への撤退を開始した。これにより、約1か月に及んだ順天城の攻囲戦は実質的な終結を迎えた。
この戦いは、朝鮮半島における倭軍と明・朝鮮連合軍との最終局面の一つとして位置づけられている。順天に布陣する小西行長の部隊に対し、明水軍の陳璘、朝鮮水軍の李舜臣らが協力して海陸からの包囲を試みていた。だが、堅固な守備と地形的要因により攻略は困難を極め、最終的に連合軍は大きな戦果を得られぬまま撤退を決断したとみられる。
一方、倭軍側にも補給の不安や戦線縮小の動きが見られており、両軍ともに決定的な勝利には至らず膠着状態のまま戦闘終結を迎えた形となった。なお、同時期に朝鮮南部の海域では、露梁(ノリャン)海峡において李舜臣が戦死したとされる海戦も発生しており、戦況は大きく転換しつつある。
順天での撤退は、慶長の役全体の終息を予感させる動きとして各方面の注目を集めている。今後、豊臣政権の対明交渉や、朝鮮側の戦後処理にも影響が及ぶとみられる。
— RekisyNews 国際面 【1598年】
