【東京・上野 10月11日】
終戦から1年あまり、引揚者や復員兵らが上野駅前に集まり、自らの手で店舗を開設し始めた。これが後に“アメ横”として知られる上野アメ横丁の起こりである。
店舗が立ち並び始めたのは、戦災で焼け野原となった上野駅西側の高架下周辺。そこに引揚者や闇市業者たちが、物資を売買する露店を構え始めた。衣料品、化粧品、乾物、果ては進駐軍の放出品までが所狭しと並び、にわかに活気づいている。
「仕事も家も失った私たちにとって、ここが生きる場所なんです」とは、青森からの引揚者だという女性の声。
警察当局は当初、無許可の営業として排除の構えを見せたが、生活の再建を望む市民の声や、GHQの占領政策の中での自由経済の理念も影響し、一定の黙認が続けられている。
なお、“アメ横”の呼称は、アメリカ進駐軍の物資が横流しされた“アメリカ横丁”に由来するとも、飴屋が多かったためとも言われており、いずれにしても庶民の声と欲望を映す戦後の縮図となりつつある。
この小さな市場が、復興のシンボルとなるか、混乱の象徴となるか――その行方は、これからの日本社会を占うひとつの試金石となりそうだ。
— RekisyNews 社会面 【1946年】