島原一帯で大規模な一揆勃発──年貢増徴と弾圧に抗し、農民とキリシタン住民が蜂起

【肥前国 島原 12月11日】

肥前国島原地方にて、本日未明より 大規模な一揆 が勃発した。領主・松倉勝家の苛烈な年貢の取り立てと、キリシタン弾圧の強化に不満を募らせていた農民・浪人らが一斉に蜂起し、島原城下は騒然とした空気に包まれている。

一揆勢は、近隣の天草から流入した不満層とも合流しつつ数千規模に膨れ上がったとみられ、指導的立場には年若い武将風の人物 天草四郎時貞 の姿があったとの目撃情報も寄せられている。彼は信仰心の篤さとその karisma 的な言動から住民の間で“救い主”のように扱われることもあり、今回の蜂起の象徴的存在となっている。

一揆勢は日の出前から島原城周辺に迫り、一部では代官所が襲撃され文書が焼き払われたとの報告もある。領主側は急ぎ兵を召集し城の防備を固めているが、住民の不満が地域全体に広がっていたことから、鎮圧は容易ではないと見られる。

蜂起の背景には、ここ数年続いた凶作と、松倉家が城の普請や諸事業のために課した 重税・過酷な夫役 があり、さらに幕府が進めるキリシタン禁制も住民の生活と信仰を圧迫していた。

村の古老は、「年貢の重さに耐えられぬ者が増え、祈ることすら許されなくなった。こうなるのは時間の問題であった」と語り、地域社会の限界が積み重なっていた様子がうかがえる。

幕府は事態を重大視しており、肥後藩・唐津藩など周辺諸藩にも警戒が広がる。一揆勢が島原・天草両地域を結び広域化する可能性もあり、今後の展開は全く予断を許さない。

地方の不満が一挙に噴き出した今回の蜂起は、島原の治安だけでなく、幕政の在り方そのものにも影響を及ぼしかねない。事態の収束には長期戦も予想される。

— RekisyNews 社会面 【1637年】

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