松永久秀、大仏殿を焼き討ち──東大寺、戦火に沈む

松永久秀

【大和国奈良 11月10日】

本日未明、戦国武将・松永久秀と三好義継の連合軍が、三好三人衆の軍勢が陣取る東大寺大仏殿を急襲し、これにより大仏殿を含む堂宇の大半が焼失する甚大な被害が発生した。聖武天皇以来の国家的信仰の象徴である奈良の大仏(盧舎那仏像)も大破し、仏都・奈良は戦火に包まれた。

この襲撃は、畿内の主導権を巡り激化していた松永・三好義継連合と三好三人衆(岩成友通、三好長逸、三好政康)との間の抗争の一環である。三好三人衆は近年、松永勢に押され、奈良の東大寺に立て籠もって軍事拠点としていたが、今朝、松永久秀軍が夜襲を仕掛けたことで防衛は破綻し、境内全体が戦場と化した。

戦闘の最中、大仏殿に火が放たれ、高さ15メートルを超える青銅製の大仏は火災によって損壊。建物の木材が燃え上がる熱で仏像の一部が溶解したとも伝えられており、文化的損失は計り知れない。

大仏殿は奈良時代の天平勝宝4年(752年)に完成した世界最大級の木造仏堂で、鎮護国家の象徴とされてきた。それが戦乱の犠牲となった今回の事態は、宗教界・朝廷双方に深い衝撃を与えている。朝廷関係者は「もはや天下の乱れは極まれり」と語っており、松永の行為に対する批判が高まりつつある。

一方、松永久秀は大仏焼失について「戦の成り行き」として責任を回避しており、今後の幕府や将軍家の対応が注目される。

— RekisyNews 歴史面 【1567年】

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