上杉軍、手取川にて織田勢を撃破――越中・能登での勢力争いが激化

【加賀国・手取川 11月3日】

加賀国手取川流域において、越後の戦国大名・上杉謙信の軍勢が織田信長の北陸方面軍を迎撃し、これを大破した。「手取川の戦い」として後に記録されるこの一戦は、北陸支配をめぐる両勢力の衝突として注目されていた。

今回の戦いは、織田方の柴田勝家・佐久間信盛らが率いる軍が能登を制圧後、加賀方面へ進軍する途中、急報を受けて上杉軍が出陣し、手取川付近で激突したもの。上杉謙信自らが陣頭指揮を執り、精鋭を率いて進軍したとされる。

一方、織田軍は能登平定直後の疲弊と、予想以上の上杉軍の速攻により戦線を立て直せず、悪天候による増水した手取川の渡河中に混乱が拡大。軍は潰走し、多くの戦死者を出して撤退を余儀なくされた。

この勝利により、越後・上杉勢は能登を再び手中に収め、北陸における影響力を強化した格好となったが、上杉軍の勢力圏拡大が今後の織田軍の再侵攻を招く可能性も高く、両軍の対立は一層深まるものとみられる。

なお、信長自身はこの出兵には加わっておらず、京都に留まり政務を執っていたという。現地では一時的な平穏が訪れたものの、次なる衝突の火種はなおくすぶっている。

— RekisyNews 軍事面 【1577年】

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