犬山城、開城で尾張口は内府衆へ傾斜 田辺へ和議使節出立/大津城では奉行衆が攻囲開始

【尾張・犬山/山城・田辺/近江・大津 10月9日】

本日、犬山城が開城し、木曽川筋の渡河点と堤道は内府衆の掌中に入った。清須―犬山―各前線の連絡が太くなり、岐阜・美濃路への圧力は一段と増す。同日、細川幽斎が籠る丹後・田辺城へ、和議の使者として日野輝資・中院通勝・富小路秀直が出立。歌道の宗匠を抱える城に対し、流血回避と権威維持を両立させる狙いで、停戦条件の擦り合わせが急がれる。

一方、近江の大津城では奉行衆が攻囲を開始した。湖上・陸路の結節点を押さえるべく、宇喜多秀家方の近江口諸隊に、小西行長の与力勢、さらに**毛利勢の別働(安国寺恵瓊系統)**が合流。湖岸の舟手は筏橋と砲位を設け、山手は柵列と胸壁で締め上げる。城内の京極方は琵琶湖の舟運確保と堀の増水保持に努め、内府衆の東西交通線を死守する構えだ。

犬山の無血開城は内府衆の補給回廊を整え、田辺の和議工作は畿内の兵力拘束を緩める効果を狙う。これに対し大津攻囲は、京・近江の往還と湖上物流を断ち、関ヶ原方面での主導権を奉行衆へ引き寄せるための一手。三つの動きが同日に重なり、前線の針は一斉に揺れた。湖面を渡る秋風とともに、決戦前夜の重心はじわりと西へ、そして南へと移りつつある。

— RekisyNews 国内・戦況面 【1600年】

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次