岐阜城、福島正則らの総攻撃で陥落 織田秀信が降伏、三成・島津の救援も退ける

【美濃・岐阜 9月29日】

本日、内府衆の主力を担う福島正則ら諸隊が岐阜城を包囲・攻撃し、城主・織田秀信(信長嫡孫)は降伏した。未明より木曽川筋で確保した渡河点から攻城具と弾薬が続々と運び上げられ、城下の要所を固めたのち、天守・二之丸へ圧力を集中。山麓では鉄砲の交代射ちと長槍の小競り合いが続き、午後には外曲輪が崩れた。

救援に向かった石田三成・島津勢は西方から押し寄せたが、河道と堤道を内府衆の別働が押さえ、横撃と逆落しでこれを退ける。城内は弾薬・兵糧が底をつき、火矢で庫が焼けたとの報もある。秀信は家臣を通じて開城を申し出、城兵の助命と引換えに門を開いた。指揮系統の瓦解を避けるため、内府衆は武具・蔵入の整理と市中鎮撫を優先し、逃散兵の追捕は限定的にとどめた。

岐阜の失陥で、美濃口における奉行衆の拠点と連絡線は大きく後退。木曽川—犬山—清須の線を押さえた内府衆前衛は、関ヶ原—大垣方面への圧迫を強める見込みだ。伊勢口・近江口と呼応して反攻を図る奉行衆にとっても、秀信降伏の波紋は小さくない。秋晴れの麓に白旗が揚がり、山上の幟は風を失った。前哨の決着は、決戦の刻を早めている。

— RekisyNews 国内・戦況面 【1600年】

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次