皇帝マヌエル軍、セルジュークの伏兵に敗北──ミュリオケファロンの地で大損害

【ミュリオケファロン峠 9月17日】

本日未明、アナトリア中央部の山岳地帯ミュリオケファロンにて、東ローマ帝国軍とルーム・セルジューク朝軍との大規模な戦闘が発生し、皇帝マヌエル1世率いる帝国軍が敗走した。

この戦いは、皇帝マヌエルがセルジュークの拠点イコニオン(現コンヤ)を攻略すべく十数万の軍勢を率いて進軍中、セルジューク軍が地形を活かして仕掛けた伏兵により包囲されたものである。

目撃者の報告によれば、ミュリオケファロン峠の狭隘な道に進軍する帝国軍の隊列が、突然山中から弓兵と騎馬軍団の奇襲を受け、後方まで大混乱に陥ったという。皇帝自らはかろうじて戦線を離脱したものの、多数の戦象や物資、さらには将兵の命を失ったと伝えられている

この敗北により、帝国はセルジューク領への進出の機を逸した形となり、アナトリア内陸部での影響力回復は困難を極める見通しだ。現地では、セルジューク側が捕虜の扱いについて「皇帝の撤退を条件に和平を提案した」との情報もあり、両国の今後の交渉が注目される。

皇帝マヌエルはこれまで、十字軍の支援や西方政策で国威を掲げてきたが、今回の敗北はアナトリア回復を掲げた東方政策に痛手を与えることは避けられない

一方、ルーム・セルジューク朝のスルタン、キリチ・アルスラーン2世にとっては、1071年のマラズギルト以来の大勝利とされ、アナトリアでのイスラーム勢力の優位が再確認される形となった。

— RekisyNews 軍事面 【1176年】

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