源頼朝、奥州平泉討伐のため鎌倉を出陣 藤原泰衡追討へ

 【鎌倉 9月1日】

鎌倉殿・源頼朝(42)は本日、奥州平泉を本拠とする藤原泰衡追討のため、鎌倉を大軍を率いて出陣した。昨年、平氏を滅ぼした後も東北地方では藤原氏が独自の勢力を保持しており、頼朝は朝廷から追討の許可を得て、武家政権の支配を全国へ広げるべく兵を進める構えだ。

出陣に先立ち、鶴岡八幡宮で戦勝祈願の儀が執り行われた。頼朝は甲冑姿で白馬にまたがり、家臣団と共に鎌倉大路を進軍。沿道には多くの人々が集まり、武士たちの掛け声と蹄の響きが鎌倉の街を震わせた。今回の遠征には御家人およそ28万騎が動員されたとされ、過去最大規模の軍勢と見られている。

藤原泰衡は、かつて平泉の覇者であった藤原秀衡の子であり、父の死後も豊かな奥州を拠点に独立勢力を保ってきた。頼朝は「義経を匿った」として泰衡を追討の対象とし、朝廷から追討宣旨を獲得。これにより軍事行動の正当性を確保した。

鎌倉幕府内では、奥州征討が東国支配の完成を意味すると同時に、今後の公家勢力との関係に大きな影響を及ぼすとの見方もある。現地からの報告によれば、泰衡側は未だ大軍を整えきれておらず、平泉では緊張が高まっているという。

今回の遠征の成否は、鎌倉政権の未来を決定づける一大局面となる。源頼朝率いる軍勢は、北へ北へと進み、奥州決戦の火ぶたが切って落とされようとしている。

— RekisyNews 政治・歴史面 【1189年】

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次