【京・御所前 8月20日】
本日、長州の兵が京に入り、御所の諸門へ迫ったため、会津・薩摩・桑名などの守備隊がこれを迎え撃った。夜明けの銃声を皮切りに、蛤御門・堺町御門・乾御門の周辺で激戦が続き、鼓笛と号砲が絶え間なく響いた。市中は騒然となり、往来は封じられた。
長州方は朝廷への直訴と旧来の政務の改めを唱え、隊を三手に分け進撃。これに対し守備側は門前に歩兵と砲を配し、側面から騎兵・歩兵を差し向けて押し返した。門外では接近戦もしばしばとなり、煙硝の匂いが町家に流れ込んだ。
戦闘の最中、放火か流れ弾による延焼かは判然としないが、河原町筋から西方にかけて火の手が上がり、黒煙が空を覆った。町人は家財を荷車に積み、寺社へ避難。井戸組や消防の筒先が奮闘するも、強風にあおられ被害は拡大した。負傷者は数知れず、死傷の正確な数は未明の時点で不明である。
午後、守備側が増援と砲火で押し返し、長州方は市外へ後退。要地には関門が設けられ、夜間も警備が継続される見込みだ。町奉行所は流言の取り締まりと夜間通行の制限を布き、医師・薬種商に救護の協力を求めた。
京の治安はなお予断を許さず、今回の騒擾が諸国の動静に波紋を広げるのは必至とみられる。都の門前に残る焦げ跡は、政の帰趨がいよいよ軍事の手に委ねられつつある現実を物語る。
— RekisyNews 政治・戦況面 【1864年】