槇島城、義昭降伏 京を追放され将軍職失う

 【宇治・槇島城 8月15日】

宇治の槇島城に立て籠もっていた将軍・足利義昭が本日、織田信長軍に包囲され降伏した。義昭は所領を没収され、京からの退去を命じられた。これにより、長く続いた将軍家の政権は事実上の終焉を迎えることとなった。

義昭はかねてより信長との関係が悪化し、今春以降は諸大名や寺社勢力に呼びかけて反織田の包囲網を構築した。しかし各地で味方が敗退し、頼みとした朝倉・浅井勢も壊滅した。追い詰められた義昭は槇島城に籠城し抵抗を試みたが、今月初旬から始まった総攻撃により城の防備は急速に崩れた。

降伏の場で、信長は義昭の命は保証するものの、京からの退去と諸国への隠居を条件とした。義昭はこれを受け入れ、家臣数名とともに城を明け渡した。城内にはわずかな兵と食糧しか残っておらず、降伏は時間の問題と見られていた。

京では、将軍追放の報が広がると町人や公家の間に動揺が走った。ある商人は「都を治める将軍がいなくなるのは初めてのこと」と語り、寺院関係者は「戦乱の時代がさらに長引くのでは」と不安を示した。

信長は今後、自らの直轄政権を強化し、畿内の安定化を図るとみられる。義昭は備後方面への移動を予定しており、再び政権に戻る可能性は極めて低いと見られている。

二百年以上続いた将軍家の支配は、この一日を境に大きく歴史の流れを変えることになった。

— RekisyNews 政治面 【1573年】

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