【河内・飯盛山城 8月10日】
畿内一円を掌握してきた三好家当主の三好長慶が本日、居城の飯盛山城で病のため逝去した。享年43。将軍近侍・公家方・堺の会合衆らに衝撃が走り、京畿の政情は一気に不透明となった。
長慶は細川氏に代わって政務の実権を握り、上洛・京中の秩序回復と畿内諸国の統治を進めてきた。近年は対立勢力の鎮撫と経済都市・堺の保護を柱に、寺社勢力や在地国人との調整を主導。都では武家政務が滞りなく運ぶ一方、重臣間の確執や諸国での小競り合いが火種として残っていた。
懸念されるのは後継体制だ。長慶の嫡子・義興を先年に失っており、家督は養子の三好義継(十余歳)が継ぐ方向だが、若年ゆえ後見をめぐる主導権争いが避けられない見通しである。畿内筋は「三好一門と有力被官、ならびに大和方面の諸勢力が一枚岩になれるかが当面の焦点」と語る。
京では将軍家の周辺にも緊張が広がる。政務の連絡線を担ってきた三好方の動揺は避けられず、宮中・公家社会は“京中の治安維持”と“将軍家の権威回復”の両立に向けた協議を急ぐ。堺では商人衆が臨時談合を開き、「街道の安全確保と関銭の安定化」を求める声が上がった。
城下では早くも弔問の列が続き、三好家の重臣らは葬儀と政務引継ぎの準備に入った。畿内の要衝では非常警戒が敷かれ、街道・関所の詰めが強化されている。長慶亡き後の権力地図は、当面の数か月で大きく塗り替わる可能性がある。
— RekisyNews 政治面【1564年】