大坂に激震、大塩平八郎が挙兵 ―― 「救民」掲げ奉行所へ反旗、市街は火の海

【大坂・天満 3月25日】

本日早朝、大坂町奉行所の元与力で陽明学者の大塩平八郎(中斎)が、門弟や農民らと共に幕府に対する反乱を起こした。天保の大飢饉による困窮を極める民衆を見捨て、江戸への米回送を優先する奉行所と豪商の暴挙に対し、大塩氏は「救民」の旗印を掲げ、自邸に火を放って決起。かつて奉行所の要職にいた人物が自ら反旗を翻すという、前代未聞の事態に大坂市中は大混乱に陥っている。

大塩氏は挙兵に際し、近隣の村々に「檄文(げきぶん)」を送り、役人の汚職と豪商の買い占めを痛烈に批判。「天下の政道が正しく行われない今、我らが天に代わって不義の徒を討つ」と宣言した。反乱軍は「救民」と大書された旗を翻し、大砲や火矢を駆使して天満から北船場方面へと進軍。米を独占する豪商・鴻池家などの屋敷を襲撃し、奪った金品や米を路上の窮民に分け与えた

しかし、奉行所側の反撃も速かった。大坂城代・土井利位率いる幕府軍は、鉄砲隊を投入して反乱軍を各個撃破。近代的な訓練を積んだ官軍に対し、寄せ集めの民衆を含む大塩軍は苦戦を強いられ、決起からわずか半日あまりで壊滅状態となった。大塩氏は養子の格之助と共に戦線を離脱し、行方をくらませたが、市街に放たれた火は強風にあおられて延焼。「大塩焼け」と呼ばれる大火災となり、大坂の約4分の1が灰燼に帰す惨状となっている。

奉行所の元役人が武装蜂起したという事実は、徳川幕府の支配体制に底知れぬ衝撃を与えている。単なる一揆とは異なり、陽明学の「知行合一」を実践したエリートによる反乱は、武家社会の腐敗を白日の下にさらした。火の手が収まった後も、大坂の民衆の間には「大塩様こそ真の救世主」と囁く声が絶えず、幕府権威の失墜と新時代の胎動を予感させる一日となった。

— RekisyNews 社会面 【1837年】

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