【旅順沖 2月24日】
極東の制海権を巡り、帝国海軍は本日未明、敵要塞の心臓部を封じる空前の決死作戦を敢行した。日露戦争の帰勢を左右する旅順艦隊(ロシア太平洋艦隊)を港内に釘付けにすべく、「第1回旅順港閉塞作戦」が実施された。広瀬武夫少佐率いる「報国丸」をはじめとする5隻の老朽貨物船は、敵の猛烈な砲火を潜り抜け、自らを沈めて敵港の狭隘な入口を塞ぐという凄絶な任務に挑んだ。
作戦の背景には、わが国陸軍の渡海を安全ならしめるため、旅順に潜むロシア艦隊の行動を完全に阻止せねばならぬという軍略上の至上命令がある。連合艦隊司令長官・東郷平八郎大将は、自沈用船舶に大量の爆薬とセメントを積み込み、物理的に航路を遮断する大胆な計画を承認。募集に応じた決死隊員たちは、生還を期さぬ決意の証として「指を噛み、血書を認める」という悲壮な覚悟をもって臨んだ。これは、近代海軍史においても類例を見ない、人間の精神力と犠牲を前提とした特攻的作戦の初動である。
現場となった旅順港の入口付近は、敵要塞からの巨大な探照灯(サーチライト)が夜の海を白日のごとく照らし出し、降り注ぐ砲弾が海面を激しく叩きつけた。暗闇の中、広瀬少佐らは敵の魚雷や砲火を回避しつつ、沈没地点を見極める極限の操船を続けた。惜しくも完全な航路閉塞には至らなかったものの、敵要塞の懐深くへ飛び込み、「死を恐れぬ帝国の気概」を見せつけた意義は計り知れない。帰還した隊員の一人は「敵の光の中で、ただ国のために沈むことだけを考えた」と、充血した眼で波高い海を見つめ直した。
この決死行は、後続する閉塞作戦の過酷な序章に過ぎない。完全な航路封鎖には至らなかったものの、広瀬少佐らが見せた「身を捨てて国に殉ずる」精神は、国民の戦意を激しく昂揚させている。冷たい海に沈んだ報国丸の残骸は、勝利への礎か、あるいは悲劇の象徴か。その真価は、今後の戦局が証明することとなろう。
— RekisyNews 戦報 【1904年】
