【京都 2月22日】
室町幕府のお膝元、京の都において本日、歴史を揺るがす軍事衝突が発生した。かねてより畠山氏の家督争いを続けていた畠山政長と畠山義就の両陣営が、相国寺北の上御霊神社周辺において激突。この「御霊合戦」は、単なる一族の私闘に留まらず、幕府の重鎮である細川勝元と山名宗全という二大勢力の対立を背景に持っており、わが国の統治機構を根底から揺るがす未曾有の動乱、すなわち応仁の乱の実質的な開戦を告げるものとなった。
今回の衝突の直接的な火種は、畠山政長が管領職を罷免され、代わって義就が重用されたことにある。政長は自邸を焼き払い、背水の陣で上御霊神社の森に陣を敷いた。当初、足利義政将軍は「この戦いは畠山家の私闘であり、他家の介入は許さぬ」との厳命を下していたが、山名勢が独断で義就側に加勢したことで事態は一変した。将軍権威が空文化する中で、細川・山名の両派閥に属する諸大名が各々どちらの陣営に付くかを伺っており、守護大名間の均衡は今まさに崩壊しようとしている。
現場となった上御霊神社の周辺では、鬱蒼とした森を背景に、甲冑を纏った武者たちが入り乱れる凄惨な光景が広がっている。神社周辺の民家からは火の手が上がり、黒煙が冬の冷たい空を覆い尽くした。逃げ惑う公家や寺社の関係者は「まさか花の御所の至近でこれほどの合戦が起きるとは」と震える声で語り、都の静寂が失われたことに絶望の色を隠せない。避難する市民の列は鴨川の河原にまで及び、略奪を恐れて家財道具を運び出す喧騒が夜通し響いている。静かな祈りの場であった境内は、いまや天下を二分する抗争の最前線へと変貌した。
この御霊合戦の勃発が、幕府の統制力を完全に失わせ、諸国を巻き込んだ長期的な内乱を常態化させるのではないかとの見方もある。また、武力による解決が正当化される下剋上の風潮が加速し、既存の社会秩序が根底から覆される「戦国」の時代の到来を告げているのではないかとの指摘もなされている。足利将軍家や公家社会の権威がいかなる変遷を辿るのか、この燃え上がる京の行方が鋭く注目される。
— RekisyNews 時報 【1467年】
