【山城・摂津 1月27日】
本日、京都南方の鳥羽・伏見一帯において、新政府軍(官軍)と旧幕府軍との間で大規模な戦闘が発生した。慶応四年正月に入り、徳川慶喜の進退を巡る緊張が高まる中、ついに武力衝突へと発展したもので、これにより国内の動乱は本格的な内戦局面に入った。
旧幕府軍は大坂を拠点に上洛を試みたが、薩摩・長州を中心とする官軍がこれを迎撃。戦闘は鳥羽街道および伏見街道で展開され、錦の御旗が官軍側に掲げられたことにより、形勢は急速に官軍優位へ傾いた。朝廷から官軍への正式な追討命令が下されたことで、旧幕府軍は朝敵と見なされ、士気にも大きな影響を及ぼした。
銃砲を用いた近代戦が市街地近くで行われたため、周辺の村落や住民にも混乱が広がっている。戦況はなお流動的であるが、旧幕府軍は劣勢を強いられ、今後は大坂方面への退却も避けられないとの見方が強い。
この戦いは、政権の帰趨を左右する決定的な転機となる可能性があり、全国諸藩の動向にも重大な影響を与えるとみられる。戊辰戦争の行方は、ここ鳥羽・伏見を起点として大きく動き始めた。
— RekisyNews 政治面 【1868年】
