【江戸 8月30日】
関白・豊臣秀吉の命により関東へ国替えとなった徳川家康(48)が本日、江戸城へ正式に入城した。小田原北条氏を滅ぼした後、家康には旧北条領の広大な関東250万石が与えられ、三河・駿河から移封された家臣団とともに新たな拠点の整備に乗り出す。
江戸城は太田道灌が築いたとされる古城を北条氏が改修したもので、城下はまだ小さな漁村に過ぎない。家康は入城後、重臣らを集めて評定を開き、「荒地を拓き、水路を整え、民を集めて城下を繁栄させよ」と指示した。井伊直政、本多忠勝ら譜代家臣も新たな所領を視察し、早くも普請計画を進めている。
入城に先立ち、家康は秀吉との会談で江戸を拠点とする決意を示し、関東での支配体制を強化する考えを伝えた。政権中枢から遠く離れた地で勢力を保つためには、城下町の整備と新田開発が急務とみられる。
一方、移封に伴う混乱も生じている。関東の旧北条家家臣や在地武士の中には、新領主への恭順をためらう者も多く、各地で小規模な争いが報告されている。江戸近郊の農民の一人は「突然の国替えで年貢がどうなるのか分からない」と不安を口にした。
しかし江戸湾は漁場に恵まれ、隅田川を中心とした水運の利便性も高く、今後の発展可能性は大きい。町奉行の一人は「城を中心に道を整え、市場を開けば必ず人は集まる」と語り、家康も「江戸を関東の要とする」と述べた。
戦国の終焉に向けた新たな一歩。
静かな江戸の入り江に、徳川の旗が高く翻った。
— RekisyNews 政治・社会面 【1590年】