【ペトログラード 3月9日】
本日、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキ政府は、首都をペトログラードから内陸のモスクワへと移転させるための本格的な移動を開始した。ピョートル大帝が1712年に遷都して以来、約2世紀にわたりロシア帝国の象徴であった「西洋への窓」は、今、革命の動乱とドイツ軍の進撃という二重の危機の中で、その首都としての地位を返上することとなった。
今回の遷都の決定的な要因は、安全保障上の切迫した脅威である。ブレスト=リトフスク条約による講和交渉が難航する中、ドイツ軍の戦線はペトログラードからわずか数百キロにまで迫っている。海岸沿いに位置し、敵軍の攻撃に晒されやすいペトログラードに対し、内陸深く守りの堅いモスクワのクレムリンは、革命政権を維持するための最後の砦として選ばれた。
本日夕刻、レーニンら政府要人を乗せた特別列車は、厳重な警戒の下でペトログラードの駅を密かに出発した。新政府は、かつて歴代ツァーリ(皇帝)が戴冠式を行った伝統の地・クレムリンを執務拠点とする予定だ。これは単なる物理的な移動ではなく、ロシアが再び内向的な大陸国家へと回帰し、独自の社会主義体制を固めるという象徴的な意味をも内包している。
「革命を救うための戦略的後退だ」。政府関係者はそう強調するが、ペトログラードの市民の間には、かつての華やかな都が事実上見捨てられることへの困惑と不安も広がっている。モスクワの鐘が再び国家の中心として鳴り響く時、ロシアはどのような未来へと舵を切るのか。200年ぶりの歴史の揺り戻しが、今、始まった。
— RekisyNews 国際面 【1918年】
