【栃木・足尾 2月28日】
かつて「東洋一の銅山」と謳われ、日本の近代化を支えた足尾銅山(古河鉱業経営)が本日、ついに閉山の日を迎えた。慶長15年(1610年)の発見以来、江戸幕府の財政を支え、明治以降は富国強兵の原動力となった巨大鉱山は、資源の枯渇と銅価の下落により、約400年にわたる波乱の歴史に終止符を打った。
足尾銅山の歴史は、日本の近代化が抱えた光と影そのものである。明治期、古河市兵衛氏による経営下で日本最大の産出量を誇った一方で、鉱毒ガスや廃液による渡良瀬川流域の汚染、いわゆる足尾銅山鉱毒事件を引き起こした。田中正造翁による命懸けの直訴は、わが国における公害問題の原点として今も歴史に刻まれている。戦後も増産は続いたが、深部への掘進に伴う採掘コストの増大に加え、安価な海外産銅の流入により、ついに経営継続は困難と判断された。
本日の閉山式では、長年地下数百メートルで作業にあたってきた坑夫たちが、泥に汚れたヘルメットを脱ぎ、慣れ親しんだ坑口に深く一礼した。ある老坑夫は「ここは血と汗の染み込んだ場所だ。閉山は寂しいが、日本の発展のために働き抜いた自負はある」と、万感の思いを語った。
最盛期には人口3万人を超え、「足尾千軒」と称された町は、今や静寂に包まれようとしている。山肌には今も精錬所から排出された煙による不毛の地が広がり、緑を再生させる植林活動が続いている。巨大な煙突が沈黙した足尾の空は、経済成長の陰で私たちが何を失い、何を教訓とすべきかを静かに問いかけている。
— RekisyNews 社会面 【1973年】
