【豊後・府内 2月26日】
九州の雄、大友氏の本拠・豊後府中にて本日未明、家督継承を巡る凄惨な刃傷沙汰が発生した。当主・大友義鑑公の居館「二階崩れ」において、嫡男・義鎮(よししげ)公を支持する重臣らが決起。義鑑公が世継ぎに据えようとした三男・塩市丸とその生母、さらには側近らがことごとく殺害されるという未曾有の事態となった。義鑑公自身も深手を負っており、大友家の盤石な体制は一転して崩壊の危機に瀕している。
今回の変の背景には、強硬な中央集権化を進める義鑑公と、これに反発し義鎮公(後の宗麟)を担ぎ上げる有力家臣団との深刻な対立がある。義鑑公は、溺愛する塩市丸に家督を譲るため、義鎮派の重臣らを盤石な粛清によって排除しようと画策。この動きを察知した津久見美作、田口蔵人佐ら義鎮支持派の家臣が、先手を打って義鑑公の寝所を襲撃したものである。建物の二階部分を舞台とした凄惨な殺戮劇は、戦国乱世においても稀に見る「お家騒動」として記憶されるだろう。
現場となった府中の居館周辺は、立ち並ぶ家臣たちの怒号と槍の波に包まれ、極限の緊迫状態が続いている。義鎮公はこの襲撃に直接関与していないとされるが、重臣らに推される形で事実上の実権を掌握。盤石な軍事力を背景に、反対勢力の抑え込みに奔走している。ある若手家臣は「主家が割れるは一国の不幸。されど、義鎮様の下で新たな大友の道を示すほかなし」と、血の臭いが漂う屋敷の前で決然と語った。
重傷を負った義鑑公の余命は幾ばくもないと見られており、数日中にも義鎮公への代替わりが断行される見通しだ。この二階崩れの変が、後の九州統一を狙う大友宗麟という盤石な英雄を生む転機となるのか。室町以来の名門・大友氏が抱えた「内なる火種」は、豊後の夜を赤く染め上げ、次なる激動の時代へと突き進もうとしている。
— RekisyNews 時報 【1550年】
