【ベネヴェント 2月26日】
南イタリアの命運を決する「鉄の激突」が本日、ベネヴェント近郊のカローレ川河畔で繰り広げられた。教皇の支持を背負うカペー家のシャルル・ダンジュー(アンジュー公)と、神聖ローマ皇帝の血を引くホーエンシュタウフェン家のマンフレーディが正面から衝突した。数時間にわたる凄惨な白兵戦の結果、カペー家が盤石な勝利を収めた。この一戦は、地中海の覇権を巡る教皇派(グエルフ)と皇帝派(ギベリン)の長きにわたる抗争に、決定的な転換点をもたらした。
今回の激突の背景には、シチリア王国の王位を巡る教皇庁とホーエンシュタウフェン家の修復不能な対立がある。教皇アーバヌス4世から「キリスト教の守護者」として招かれたシャルルは、屈強なフランス騎士団を率いて南下。対するマンフレーディは、精鋭のドイツ人傭兵隊とサラセン人(イスラム教徒)弓兵部隊を盤石に配備してこれを迎え撃った。しかし、戦闘の佳境でマンフレーディ軍の第二陣が壊走し、孤立したマンフレーディ自身も戦場に散るという衝撃的な結末を迎えた。
現場となったベネヴェント周辺の野原は、両軍の将兵の亡骸と折れた槍で埋め尽くされている。勝者となったシャルル・ダンジューは、この勝利を「神の審判」と宣言し、シチリア王としての地位を盤石なものにする構えだ。あるフランス人騎士は「皇帝の血脈も、教皇の正義の前には無力であった。これより南イタリアは新たな主君の下で生まれ変わる」と、血塗られた剣を掲げて語った。
シチリア王国の滅亡とカペー家による支配の幕開け。この「ベネヴェントの戦い」がいかにして中世欧州の勢力図を盤石なものとし、後の「シチリアの晩祷」へと繋がる火種を残すことになるのか。キリスト教圏の権威と武力が複雑に絡み合う中、イタリアの空には新たな覇者の旗が翻っている。
— RekisyNews 時報 【1266年】
