【小牧 2月25日】
わが国の大空に、再び純国産の防人が舞い戻った。
三菱重工業小牧南工場において本日、第二次世界大戦終結後、初めて日本が独自開発した支援戦闘機「F-1」の量産1号機がロールアウト(完成公開)した。かつて「零戦」を生んだ技術の系譜が、戦後30余年の時を経て、最新鋭の超音速機として結実した。これは、わが国の航空産業の技術力を世界に示し、自衛隊の防空体制を新たな次元へと引き上げる「技術的自立」の記念碑である。
今回のF-1開発の背景には、輸入機に頼らざるを得なかった戦後の空白を埋め、わが国の国土と産業を守るための「国産化の意志」がある。超音速高等練習機「T-2」をベースに開発された本機は、対艦ミサイル「ASM-1」の運用能力を備え、四方を海に囲まれた日本の専守防衛に特化した設計が成されている。開発に携わった技術者たちは、海外製部品の制限や厳しい予算という制約を乗り越え、超音速飛行時の安定性と精密な電子機器の統合を盤石なものにした。これは、単なる兵器の完成ではなく、一度途絶えかけた「空の匠」たちの誇りの再生に他ならない。
現場となった式典会場では、日の丸を翼に刻んだF-1の鋭利な機体が、冬の柔らかな光を浴びて輝きを放った。初飛行を担当するパイロットや開発スタッフらは、誇らしげに機体を囲み、完成の喜びを分かち合っている。三菱重工の関係者は「この一機には、わが国の空をわが国の翼で守るという執念が詰まっている。失われた30年を取り戻す第一歩だ」と、声を詰まらせながら語った。会場周辺には、この歴史的瞬間を一目見ようと多くの関係者が詰めかけ、戦後航空史の転換点に立ち会う高揚感に包まれている。
このF-1の量産開始が、わが国の航空宇宙産業の基盤を盤石なものとし、将来的な次期戦闘機開発への大きな足がかりとなるのではないかとの見方もある。また、この「国産の翼」が、変化し続ける東アジアの安全保障環境にいかなる抑止力をもたらし、自立した防衛能力をいかに確立していくのか。小牧の滑走路から飛び立つF-1の爆音が、日本の空にいかなる新たな航跡を描いていくのか、その歩みが鋭く注目される。
— RekisyNews 工報 【1977年】
アイキャッチ画像 PhantomII.Rider – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=120558432による
