【神奈川 2月19日】
昭和天皇は本日、終戦後初めての地方行幸として神奈川県へ向かわれ、戦後巡幸が始まった。皇居を発ち、川崎、鶴見、横浜などの工場や市街地を巡り、焼け跡から立ち上がる現場の状況を確かめられた。沿道には早朝から人々が集まり、寒風の中で帽子を握りしめて車列を見送った。警備の兵や巡査が道を確保し、家々は戸口に出て静かに頭を下げたという。
視察先では、機械の音が戻りつつある工場に労働者が並び、天皇が足を止めて声をかける場面もあったと伝えられる。市中にはなお焼け野原が広がり、瓦礫を積み上げる手や、配給の列に立つ家族の姿が目立つ。港の倉庫跡では潮の匂いに煤が混じり、破れた看板が風に鳴った。人々は食糧不足と物価高に耐えながら、明日の仕事口を探している。
天皇が自ら各地を訪ね、国民の苦境に触れる姿勢は、敗戦の混乱の中で心の支えになるとの見方がある一方、今後の国の形が定まらぬ中で、象徴のあり方をめぐる議論も残る。宮内当局は、明日も県内各地を巡り、その後も学校、病院、工場、農村などを広く視察する方針とする。巡幸が、荒廃した社会にどのような励ましをもたらすか、また復興の実務にどう結びつくかが注目される。
また、現地では列車や車で移動する行幸に合わせ、役場や町内会が奉迎の準備を進め、子どもらは小旗を振る稽古をしたという。戦災の傷が深い土地ほど、天皇が直に見聞することへの期待と、生活再建を急がねばならぬ焦りが交錯した。夜、神奈川の街は早めに灯を落とし、明日の行幸日程を噂しながら眠りについた。遠くで汽笛が一つ鳴った。
— RekisyNews 社会面 【1946年】
