海賊ヘンリー・モーガン死去 副総督を歴任、波乱の生涯に幕

 【ジャマイカ・ポートロイヤル 8月25日】

本日未明、かつてカリブ一帯に名を轟かせた私掠船長にしてジャマイカ副総督を務めたヘンリー・モーガンが、長患いの末に自邸で死去した。享年は五十代半ばとみられる。港町は朝から半旗が掲げられ、酒場のざわめきはいつになく低い。政庁は近親者と評議会の列席による葬儀を準備中で、砦と停泊艦から追悼の礼砲が放たれる見込みだ。

モーガンは国王の私掠免許状の下、スペイン勢力と対峙する遠征で頭角を現し、ポルトベロ攻略、マラカイボ襲撃、パナマ侵攻など大規模作戦を指揮した。鹵獲品は莫大で、その名は恐怖と畏敬をもって語られたが、和平後には強硬な手法がしばしば論議を呼んだ。

帰英を命じられて取り調べを受けたのち、最終的にはナイトに叙され、再び植民地政庁に迎えられると、副総督として港の規律と交易の秩序回復に努めた。皮肉にも、かつての同業を取り締まる側に回り、海賊や密輸の掃討を指揮した。砂糖園と蒸留所も所有し、ラムと砂糖の取引で財を築いたが、近年は酒と病で体調を崩していたという。

港では「剣で土地を開き、法で港を守った人物」とたたえる声がある一方、被害を受けた商人や宣教師の間には複雑な感情も残る。遺産と負債の整理、使用人や水夫への未払い金の扱いが当面の課題となり、評議会は後任人事と沿岸警備の継続方針を協議する。

武勇と策謀で海と政治を渡り歩いた一代の生は、今日ここに終わった。スペインとの緊張が燻る中、私掠の時代が終わるのか、あるいは姿を変えて続くのか―ポートロイヤルの海風だけが、その先行きを知っている。

— RekisyNews 国際・訃報面 【1688年】

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