【横浜 8月24日】
本日、陸軍軍医の森鷗外氏が欧州留学のため横浜港を出帆した。見送りに集まった同僚や師友の輪の中、氏は「学理と実務を携え帰国したい」と短く述べ、甲板から帽を掲げた。近代医学の先進地たるドイツで衛生学・細菌学・軍陣衛生の最新知見を学び、病院制度や検疫の運用も視察する計画という。
政府は伝染病対策と軍隊衛生の高度化を急いでおり、今回の官費留学は医制近代化の要と位置づけられる。コレラ禍が社会に残した爪痕は深く、上下水道や消毒、検査体制の整備には学理に裏づけられた技術者の養成が不可欠だ。独逸学派の体系的な衛生学は、国内の教育・行政に直結する「実務の学」として期待が高い。
森氏は若くして語学に通じ、臨床と研究の両面で才を認められてきた。留学中は大学や軍医学校での講義聴講に加え、病院・検疫所・屠場など実地の衛生施設を巡る見込みで、所見は逐次本国へ報告される手はずだ。書誌・標本の蒐集も委嘱され、帰朝後の講義と翻訳出版が想定されている。
「病は兵を損ない、産業を痩せさせる」。見送りの医官はそう語り、衛生の改善こそが国力の底力を支えると力を込めた。森氏の旅は、知を運ぶ航海でもある。波濤のむこうで積み上げる学びが、やがて病床と街路の清潔、兵営の健康、そして人々の暮らしの安心へと結実するか—列島の期待を乗せた汽笛が、夏の港に長く響いた。
— RekisyNews 文化・社会面 【1884年】