【京 2月8日】
三河国の戦国大名・松平家康は本日、朝廷より「徳川」の姓を名乗ることを正式に許され、以後「徳川家康」と改名した。あわせて、従五位下・三河守への叙任が行われ、家康は名実ともに公的な地位を得ることとなった。
これまで家康は、三河を本拠に勢力を拡大し、今川氏からの独立後は織田信長と同盟を結び、東国における有力武将として存在感を高めてきた。一方で、その出自については「松平」の名にとどまり、源氏を称する諸大名と比べると、朝廷との公式な結びつきは限定的であった。
今回の改名は、家康が清和源氏の流れを汲む「徳川」姓を公的に名乗ることを認められた点で大きな意味を持つ。これは単なる名称変更にとどまらず、家格の上昇と正統性の獲得を意味し、今後の政局において大きな後ろ盾となるものと受け止められている。
また、官位の授与により、家康は朝廷秩序の中に正式に位置づけられた。戦国の世において、武力のみならず、朝廷との関係を重視する動きは各地で見られるが、今回の叙任は、家康がその流れの中心に立つ存在となったことを示すものといえよう。
京の公家社会では、「東国の有力武将がついに名門の姓を得た」との声もあり、今後の家康の動向が、畿内・東国双方の情勢に影響を及ぼすとの見方が広がっている。
— RekisyNews 政治面 【1566年】
