下邳の戦い —— 曹操・劉備連合軍、猛将・呂布を討つ

【下邳 2月7日】

昨年冬より続いていた司空・曹操軍および予州刺史・劉備軍と、呂布軍による下邳を巡る攻防戦は、本日、呂布の降伏と処刑という形で幕を閉じた。これにより、長らく混迷を極めた徐州情勢は曹操軍の支配下に入り、後漢朝廷の威信が再びこの地に及ぶこととなった。

昨年末から三か月にわたり包囲されていた下邳城は、曹操軍による水攻めで城内が浸水し、食糧不足と疲弊が極限に達していた。こうした中、呂布の側近であった侯成、宋憲、魏続らが離反軍師の陳宮や将軍の高順を捕らえて曹操軍に投降し、城門を開放した。孤立無援となった呂布は白楼門へと追い詰められ、ついに降伏を余儀なくされた。

捕らえられた呂布は、曹操に対し「私を部下として用いれば天下を平定できる」と助命を乞うた。曹操もその武勇を惜しみ一時は逡巡したものの、傍らにいた劉備が「呂布がかつての主君である丁原や董卓を裏切ったこと」を指摘。これを受け、曹操は「狼の子を養うわけにはいかぬ」と決断を下し、呂布は絞首刑に処された。忠誠を貫き降伏を拒んだ陳宮や高順らも、同時に処刑されたという。

「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と謳われ、その武勇で天下を震撼させた一世の豪傑は、非業の死を遂げた。街の至る所には今も水攻めの傷跡が残り、住民たちは戦火の終焉に安堵しながらも、かつての英雄の最期を複雑な面持ちで語り合っている。曹操軍は今後、捕らえた張遼ら有力な将を登用し、さらなる勢力拡大を図るものと見られる。

— RekisyNews 社会面 【199年】

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次