【アナトリア東部・チャルディラーン平原 8月23日】
本日、オスマン帝国軍(総司令セリム1世)がサファヴィー朝軍(イスマーイール1世)と対峙し、野戦砲とイェニチェリの火縄銃を車陣の背後に据えた縦深防御で、赤帽子軍(クズルバシュ)の突撃を撃退した。夜明けの斥候戦に続き、午前の主攻でサファヴィー騎兵は両翼から包み込もうとしたが、砲列の連続射と銃列の斉射に行く手を裂かれ、装甲を貫く鉛弾に馬ごと倒れる者が相次いだ。
煙と砂塵の中、イスマーイールは自ら前線に出て隊を鼓舞したが、負傷して退き、旗手と近侍が相次いで戦死。正午過ぎにはオスマンの左翼が押し上げ、敵中枢へ迫る。サファヴィー側は秩序を保ちながらも後退に転じ、日暮れには平原の主導権がオスマンに移った。
戦後、オスマン軍は捕獲した大砲・幕帳・財貨を整理し、追撃隊はタブリーズ方面へ進出。交易都市は緊張に包まれ、職人や商人には避難の動きも出ている。東アナトリアと北メソポタミアの帰趨は、ムスリム世界の覇権と直結するため、周辺のクルド首長らの去就も焦点となった。
今日の勝利は、両帝国の国境線と信仰の勢力圏をめぐる一世紀以上の抗争に火を付けた。砲と銃が騎兵の勇を凌駕したこの平原の夕闇は、時代の戦法が転じた瞬間を照らしている。
補給と地形の読みでも明暗が分かれた。オスマンは弾薬車を塹壕背後に巡らせて火力を持続させたのに対し、機動突撃を信条とするクズルバシュは長期戦で矛先を鈍らせた。戦場に残された羽飾りの折れた槍や緋の軍旗は、諸首長の損耗の激しさを物語る。近く皇帝はタブリーズに入り工匠を移送する構えだが、補給線の伸長を嫌って深追いは避けるとの見方も出ている。
— RekisyNews 国際・戦況面 【1514年】